わたしたち
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3月4日、午後1時 鎌倉駅東口待ち合わせ。
「どもどもー」人混みにまぎれて、遼平さんは笑顔でスルリと現れた。
今日は土曜日。
着物姿の女性や、外国の方。通りはすっかり人で溢れ、人力車のお兄さんも威勢がいい。すっかり春の陽気で、降るように咲くミモザの花や、桃色に色づきはじめた梅が通りを彩っている気持ちのいい日。
私たちはまず、小町通りを抜けて鶴岡八幡宮へ参拝に向かった。
遼平さんと出会ったのは、今から2年前。
エシカルブランドが集まるイベントに、遼平さんは桜子さんと一緒に参加していた。
優しそうなお二人に、友人の麻菜と一緒に声をかけたのがキッカケで仲良くなった。
遼平さんは、クールに見えて「楓さんの写真のファンなんです」とさらりといって喜ばせてくれる優しいお兄さん。
参拝を終え、辿りついたのは近くのアジアンカフェ。
ベトナムに旅行したことがある遼平さんとベトナムコーヒーを2つ頼み、ゆっくりゆっくり抽出されるコーヒーを眺めたあとにコンデンスミルクをたっぷり混ぜる。
甘いコーヒーを味わいながら、さっそく遼平さんの話を聞きはじめた。
小林遼平さん、長崎県島原市出身。
現在は東京に暮らし『気象測器』というお天気を計る機械を販売する会社で、海外の拡販営業を担当している。
「大学は金沢工業大学でした。鳥人間コンテストにでたくて」
鳥人間コンテスト!
「昔から好きだったんです。先輩たちがすごくカッコよくて。
一時期はイラストレーターを目指していた時期もあったんですが、そんな時も母親に『あんた、鳥人間コンテストに出たいんでしょ!』って言われて、あ!そうだった!って思い出したりしながら(笑)」
「大学では鳥人間コンテスト部とヨット部へ入部し、趣味でハングライダーもしていました」
人の手で作られたものに人が乗り、天候をよみ、風に乗る。
昔から天気予報に興味があった遼平さん。気がつけば天気が関係するものによく惹かれていたようです。
「就職を考えるころには、天気に関わる仕事がしたい、けど気象予報士になるのは難しい。じゃぁ天気を測る機械をつくる人になろうって思ったんですね。それで、大学卒業後は気象測器をつくる会社に就職しました」
遼平さんはその中で、地震計の営業を主に担当することとなる。
担当のお客様は震度計を利用される方だったので、次第に地震について詳しくなっていったそう。「周りからも『あいつは地震屋さん』みたいに言われるようになって。
気づけば、あれ、気象のために入ったのに、全然違う方向だぞ?と(笑)」
当初の目的とは変わりますが、仕事は充実。
プライベートでは3年前から海外旅行に出向くようになります。
初めての海外は、カンボジア。その次の年にはマレーシアへ。
「『深夜特急』を読んで、いろいろ行ってみたくなったんです。
マラッカ海峡の夕日は丸かったという文章に誘われて、実際にも行ったんですけど、僕が見た日はそんなに丸くなかった(笑)」
バインミーがおいしくてパクチーが食べれるようになったベトナム。
紅茶園を目指して炎天下の中バックパックを担いで歩いたマレーシアの景色。ガンジス川で見た生活と葬祭が入り混じる混沌とした光景。ゲストハウスの人が優しかったこと、レンズの向こうで、笑わずピースサインをする幼い子どもの姿。
旅を重ねるたびに、知らない国への興味は深まっていった。
Photo by Ryohei Kobayashi(2016,India)
「旅行から帰ってきて、海外で働きたいって思って。当時の上司を新橋の飲み屋さんに連れ出してお願いをしたんです。『海外で働かせてください』って」
その後、希望通り彼は海外の拡販営業担当に。
社会人4年目には、旅行ではなくビジネスとしてインドネシアやトルコへ足を運んだ。
そこで震度計の営業を行うのだが、その時明らかに日本とは違う感触を得る。
「海外出張した国で、震度計の話をしても全く伝わらなかったんです。
使い方が理解されなくて普及しないのかと考えていたのですが、それよりもっと前のことで。どこで話をしても、震源地を計る機械をすでに導入しているから大丈夫、震度を計る機械はいらないと。国の防災対策として、そこに重きを置いていないことがわかったんです」
それが一体どういうことなのか、遼平さんは私にもわかるように一つ一つ教えてくれた。
現在日本では、全国に計測震度計の観測点があり、これらの観測点で観測した震度は、自動的に気象庁へ通報される。各地の震度を地震発生後早い段階で特定することができるようになっている。
「震度がわかれば、どの地域の被害が大きくて、どこに救助隊を優先的に出さなくてはいけないかも考えられます。日本の防災対策の取り組みは、世界の中ではトップクラスだと僕は思っています。ただ、日本の当たり前は他の国の当たり前ではない。
マグニチュードと震源だけを知るだけではなく、震度計なども活用して防災対策やレスキューの仕組みづくりをすることで、救える命が増えると思うんです。
そうしたら、医者じゃなくても誰かの命を救えるかもしれない」
遼平さんはこの秋、青年海外協力隊員としてフィジーへの派遣が決まった。
これまでの営業職にプラスして、海外での経験を糧に、将来は防災対策コンサルタントを目指したいと話す。
退職の話をした際、職場の先輩は『若いんだから沢山チャレンジした方がいい』と背中を押してくれたそう。
「僕が考えているようなことは、きっと誰でも考えていること。
でも、それができないということは何か理由があるんだろうなと思っています。
たのしみです。何がおこるでしょうね。
でもまぁ、色んなことがおこるんでしょうね」
私はかつて、青年海外協力隊への参加を夢見ていた時期があった。
就職先に福祉職を選んだのも、協力隊応募のための実務経験を積み重ねたかったからだった。遼平さんの話を聞きながら、そんなことを思い出し口にすると「いいじゃないですか、いいじゃないですか」とにこにこと微笑んでくれた。
でも、私と遼平さんで違うのは、道筋。漠然と憧れだけを抱いていた私と違って、遼平さんはきちんと目の前の課題から方法を導き出し、自分の手でチャンスを掴んでいる。これって、すごいことだと思う。
『医者じゃなくても、誰かの命を救えるかもしれない』
遼平さんのその一言が、ふわふわと私の頭の中に残りつづけていた。
カフェを出て、撮影のために由比ヶ浜まで話しながら歩いた。
何の野菜が安いだとか、一人暮らしでうまく自炊する方法だとか。今日の晩御飯は何にしようかだとか、えらいのんびりした話ばかりしていた。
遼平さんが自然体だからか、一緒にいると心がホッとゆるんでいく。
いい天気もあいまって、何だかすごく平和な時間だった気がする。
「うおー、いいっすねえ」
目の前に広がる3月の海は、夕日がさしこみはじめて優しい色をしていた。
この時間いいですね、なんて話をしながら、時折つよい海の風に煽られながら、笑いながら写真を撮った。
遼平さんに贈った花は『カラベル(リューココリーネ)』
花言葉は『温かい心』です。
自分の知識が、自分の手が、誰かを救うかもしれない。
そんなことを思いながら取りくめる仕事って、とっても素敵だ。
この先、遼平さんにどんな景色が待ってるんだろう。
南国フィジーから真っ黒になって帰ってくる遼平さんを想像しようとして、イメージが湧かずにやめた。黒い遼平さん、ちょっと楽しみ。
大変なこともあるだろうな、でも何だかとっても楽しそう。
これから知らない国に向かう遼平さんが楽しそうで、その先の景色を想像して私まで何だかワクワクしてきた。
遠く、フィジーの国で。
遼平さんの活動が響きますように。
遼平さん、いってらっしゃい。