2018年7月某日、梅雨間の快晴。照りつける太陽に汗を滲ませながら、久しぶりに訪れた新大久保を歩く。

 

今日のインタビュー相手は、稲葉哲治さん。各所でご活躍されている方で、今日はラジオ出演後の待ち合わせだ。

 

「こんにちは、今日はよろしくお願いします」

 

待ち合わせ場所に現れた稲葉さんの胸元には、何とも可愛い柄のネクタイ!

 

「これね、アフリカのベナンという国で作られたネクタイなんです」

 

エシカルブランドと繋がりの深い稲葉さん。エシカルアクセサリーブランド『EDAYA』プロボノ、エシカルショップ『エシカルペイフォワード』プロデューサー、ご自身でも『エシカル男子の会をつくる会』という活動をされていたりと、普段からエシカルブランドを身につけることも多いようだ。

 

エシカル(ethical)とは「倫理的な」の意味。環境や社会の事を考えた商品を作り上げているブランドは『エシカルブランド』とよばれ近年注目されている。

 

 

今回の撮影は、いくつか候補がある中から、新大久保を指定させていただいた。

思い浮かべたときに、雑踏の中で稲葉さんを撮りたいなと思ったから。

 

すると、待ち合わせ場所で合流した稲葉さんから一言。

 

「実は、この辺りは地元なんです。

なので今日は、撮影場所にここを選んでいただけて嬉しいです」

稲葉さんの生まれは茨城県。

その後は福島、千葉と移り住み、3歳からはずっと東京都新宿区で育ったそう。

 

「新宿から新大久保、高田馬場辺りがルーツで、この辺りはまさに通学路。

僕にとっては慣れ親しんだ場所です」

 

稲葉さんは、どんな学生だったんですか?

 

「本をよく読んでいました。学校が終われば地下街の喫茶店で本を読みふけっているような学生でしたね」

 

歌舞伎町の繁華街も、新宿のビルが並ぶ街並みも、稲葉さんにとっては慣れ親しんだ景色になる。この町で、いろんな人を見てきたという。

 

高校卒業後は、東京大学文学部に入学。

しかし、思い描いていた学びが大学では受けられないことを感じ数年を過ごした後に中退。「僕にとって一度目の大きな挫折です。引きこもり時代を経て、コンビニ店員として働きました。初めて正社員として社会人になったのは28歳の時でした。常務の小間使いのような仕事をさせていただけまして、非常に学ぶことが多くお世話になりました」

 

幼少期のこと、これまでの仕事のこと、現在の活動のこと。話上手な稲葉さんの話はおもしろく、また話の節々から柔らかい強さを感じる。

 

 

一通りお話しを伺った後に、稲葉さんから「エシカルの発信基地をつくりながら、“誰もが生きづらい社会”をつくりたい」という想いを聞いた。

 

誰もが生きづらい社会?

一体どういうことなのか、稲葉さんにもう少し深く聞いてみた。

「僕ね、“てっちゃん”って呼ばれていたんです。

小学校の頃から、よく一緒にいた女の子に」

 

「明るく面倒見が良くて、同じ年だけれどお姉さんのような雰囲気があってね。小学校卒業とともに彼女は東京から福島へ引っ越してしまい、大学生になってからはときどき彼女が東京に帰ってきたときに遊んでいました」

 

稲葉さんは学生時代、彼女と仲の良かった同級生と交際していた。「22歳で大学を中退してからは彼女とも別れ、世の中に背を向けて社会との接点を持とうとしていませんでした」

 

そんなある日、福島に引っ越したあの友人から突然電話がかかってきた。

「いきなり言ってきたんですよ。『てっちゃん、元気?あの子と別れたんだって?』って。いつも通りの明るい声でね。その頃の僕は、何だよと思ってちょっとムッとしたんですね。

 

そのまま彼女は他愛もない話を続けた後に『てっちゃんダメだよ、もっとしっかりしなきゃ。わかったね?私もまた東京行くから』と、そう言って彼女は電話を切ったんです」

 

「僕は悔しく思いながらも、彼女の言葉で逆に火がついたというか。

いつか絶対に良くやったと言わせてやると、その電話を機にがむしゃらに働きはじめました」

 

その後は彼女から電話が来ることもなく、SNSをやっていない彼女の近況はわからないまま。「会社を持ったり、自分の活動がメディアに掲載されたりと段々と調子が良くなって、そろそろ彼女にも会いたいなと思っていた頃でした」

あの電話から10年後の同窓会。

友人と、“誰と会いたいか?”という話題になった時、稲葉さんは彼女の名前を口にした。

 

「そしたらね、みんなが、え?っていう顔をするんですよ。

それから、“知らないの?”っていうんですよ」

 

 

「彼女、亡くなっていたんですね。

僕だけが知らなかった。

 

10年間僕はがむしゃらでした。いつか会える彼女に、変わった姿を見せるために。あの電話で、彼女は僕に『頑張れ』といつも通りの明るく元気な声で言ったんです。何も辛いことなんてないように。最後に僕に大嘘をついたまま、彼女はいなくなってしまいました」

 

 

社会に絶望する、二度目の大きな挫折。

 

しかし、稲葉さんはこの経験を機に「”誰もが生きづらい社会”をつくる」ことを決める。

 

「彼女は実はいろんな背景を抱えていた。巷で言われているような『誰もが生きやすい社会』なんて、そんなもの実現できる訳ない。みんな違う人間なんだから。

 

僕は、誰しもが生きづらさを口にできる社会こそ、本当に生きやすい社会なんじゃないかと思ったんです。

 

これが苦手だとか、こんなことが辛いとか。

お互いを理解して受け止めあう事で、生まれることってあるんじゃないかと思うんです。

 

誰もが生きやすい社会なんて、できっこない。

じゃぁ、せめて生きづらさを語れる社会に僕はしたい」

東京。

夢を抱き、出会っては通り過ぎていく人たち。

 

田舎の日常とはまた違うリズムで、関係性が積み重なっていく。ふと、東京で出会った友人の顔を思い返す。出身もそれぞれ。この街に集まっては、一緒に色んな景色を見てきた。

 

混沌とした街並みを眺めながら、飲み物を口にする。

 

 

故郷がすき。

 

でも私は、この街もすきだ。

 

人間くさくて、くるくる変わっていく景色。

田舎には田舎の優しさがあるように、都会には都会の優しさがあると今は思う。

店を出た後は、新大久保から新宿へ向かって歩いた。

 

韓流ショップで賑わう人の流れを抜けて路地へ入ると、様々な国のお店が立ち並ぶ。中国、タイ、インド、ネパール、ベトナム、トルコ…世界が凝縮されたような、賑やかな街角。街を行き交う言葉も多言語だ。

 

 

「ここが僕の通学路でした。外国人のおばちゃんが洗濯物を干している姿や、楽しそうな井戸端会議の様子、ときには夫婦喧嘩も横目に見ながら、毎日学校に通っていました」

 

いろんな国から集まった、いろんな人たちが暮らしている東京の街角。

稲葉さんにとってはこの景色が、慣れ親しんだ日常だ。

 

「僕は好きです、この街。

 

このビルだらけの街並みを見ると“あぁ、帰ってきた”ってホッとするんですよね。

おもしろい街だと思いますよ」

 

 

時刻は17時。交差点には多くの人が行き交い、そびえ立つビルの後ろからは夕陽が街を包みこみはじめている。

 

 

『誰もが生きづらい社会をつくる』

 

行き交う人を眺めながら、その言葉に込められた願いを考える。

 

 

「僕は、誰もがマイノリティだと考えているんです。

 

理解することは難しくても、お互いのわからなさを伝えあうことで認め合うことができるかもしれない。そんな当たり前を平等に大切にしていけたらいいなと思うんです。

 

共鳴、共存しあえる社会にできるといいですね」

自分の弱さも人の弱さも認めあっていけたなら、今よりもう少し優しく社会の中で生きていけるのかもしれない。

 

どうして稲葉さんはエシカルの価値観に辿り着いたのか。どうして柔らかい強さを感じるのか。お話を伺って、少しだけその理由がわかった気がした。『エシカルであることの発信基地』をつくりながら様々な活動の大きなサポート役として、想いを受け止め繋いでいく稲葉さんの生き方を素敵だと思う。

 

稲葉さんに選んだ花は、ネイティブフラワー。

贈る花言葉は、”共栄”です。

No.57 稲葉 哲治

誰もが生きづらい社会をつくる

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