わたしたち
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「楓ちゃん久しぶり!」
2018年4月、桜木町駅。 大学の後輩、洋平と久しぶりに再会した。
改札から手を振る彼は大学生の頃より少し大人びた雰囲気に。でも、人懐っこい笑顔は相変わらずで、大学時代戻ったような気持ちになった。
彼と私は大学時代、同じ部活に所属していた。いつも元気なしっかり者だった彼。カフェで遅めの昼食をとりながら、彼のこれまでのことについて、あらためて教えてもらった。
彼の出身は、福島県伊達市。
実家は建築業を営んでおり、姉1人、兄2人の4人兄弟の末っ子として生まれ育った。一番上のお姉さんとは7歳離れているが、兄弟みんな仲が良いそうだ。
幼少期から野球を続けていた彼は、県内にある野球の名門高校へ進学。
故郷である福島からは、大学進学を機に上京した。
大学生活では、東京で出会った仲間と新しい部活にのめりこんだ。
所属したのは、沖縄の伝統芸能“エイサー”を演舞する団体。
留学戻りの2年生の夏。大学で仲良くなった友人と見学に行き、明るくも真面目な部の雰囲気に入部を決めたそうだ。2年ほど部活動を続けた彼は、最終的に大太鼓の担当として演舞を盛り上げていた。
写真提供:大橋洋平
「すごく楽しかった。雰囲気が良かったよね。みんな明るくて、成長できるし」
「笑ってすごせる仲間との時間は大切だなーと思って、社会人になってからも
練習に行っていた。社会人になったから諦めるんじゃなくて、社会人になっても選択肢は広く持ちたいと思っているよ」
卒業後は、自動車業界へ。
宇都宮、そして地元福島での仕事も経験し、3年間営業職を学んだ。
元々彼はトーク上手で、ムードメーカーだった。
話を聞いている中でも、言葉の選び方、その言葉を伝えるタイミング、ひとつひとつリズムにのったような心地いいコミュニケーションが返ってくる。それを愉しんでいるようにも見えるくらい。
そんなイメージから、彼が営業職に就いたと聞いて、なんとなく納得してしまった。
彼にそれを伝えると、いやいや上手く行かないことだらけだよ、と笑った。
「でも、コミュニケーションは好き。同じニュアンスのことを言っていても、間や言葉のチョイスで相手に伝わる印象って変わるでしょ。そういうのが面白くて、相手の反応を見て今回はどうだったかな、とか、次はこう伝えようとか、学ぶのが楽しい」
大学の部活内でも、こんなことがあったという。
後輩が増えて自分が教える立場になり、彼の中で、全体への声がけと一人一人へかける声がけを意識的に変えていた。
「一人一人と話していたら自分にとって“そういう考えもあるんだ”と思える意見が出たりして、それぞれにしっかり声をかけていこうと思って。
そうしたら、その瞬間にかけていた言葉は無意識だったんだけど、後から“あの時言われたあの言葉を今でも覚えてる”と言ってくれた後輩がいて。
それが、すごく嬉しくて。
団体の中にいても“あなたを見ている人がいる”ということを伝えたかったから」
洋平は、久しぶりに私が部活に顔を出したときも「かえでちゃん!」と人懐こい笑顔で笑いかけてくれた。その壁のなさに、何度も救われた気がする。
「生きているうちに出会える人には限界がある。
限られた時間の中で、その人の記憶に残ったらいいよね」
得意のコミュニケーション能力を生かして、人と人を繋げる洋平。
今のようになるまで、何かキッカケがあったのだろうか。
「何だろう。でも、なんか10歳の時に“何で生きているんだろう”とふと考えることがあって。どうせなら出会った人を笑顔にしたい、豊かにしたいと漠然とこどもの頃から考えていたかも。
それから、高校時代に受けた教育方針はその後の自分の考え方に大きく影響していると思う」
彼が所属していた野球部では、哲学について学ぶ機会も多かったという。
「高校生の頃は、“何か特別なことをやりたい“でも、自分の個性って何だろう?とずっと考えていたかも。たくさんの人がいる中で、何か持っていないと埋もれちゃう、と初めて不安を感じたときでもあった」
彼が持っていた漠然とした不安は、行動力へと変わっていく。
大学生になった彼は、ニュージーランドへ留学。世界の広さを感じた彼は、二度の留学を経験した。故郷を離れ、母国を離れ、更に広い世界から自分を見つめ直す機会を得た。
英語がわからない状態で行った、初めての海外での日々。
「できなかったことが自分でできるようになったとき、わからないことがわかったとき、すごく気持ちよかった」
彼は大学卒業後、3年間勤めた営業職を辞めて、2018年6月からオーストラリア留学の道へ進んだ。2年間のワーキングホリデーだ。
「語学はいつかもっと学びたいなと思っていた。
だって、英語が喋れるようになったらもっとたくさんの人と話せるでしょ?
英語が喋れるようになれば、世界が広がるなぁと思って。
でも一番は、後悔しないように。やりたかったことは実現したいなって」
「友人の結婚報告も増えて、すでに家庭を持っている同級生も何人もいる。
いつかは俺もみんなみたいに結婚して家庭を持ちたいなって思っている。
だからこそ一人で動ける今のうちに、やりたかったことにチャレンジしておきたい」
いつか後悔しないために、できることをできるうちに。
心が惹かれた方向へ進んでいく。
「仕事を辞めて留学するって言うと、“帰ってきたらどうするの?”ってよく聞かれるんだよね。でもさ、帰ってくる頃どうなっているかなんてわからないと思うんだ。今やりたいことがあっても、その頃には変わっているかもしれないしね。何になるかはわからないけど、海外で得た経験を生かして次に進めたらいいな」
2018年6月、彼はオーストラリアに飛び立った。
彼に贈った花は、ソリダコ。
花言葉は”永遠の少年”。
自分に素直に生きる彼。
帰ってきたらまたどんな話が聞けるのか、楽しみにしています。