わたしたち
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彼の名前は、カブ。
東京で生まれ、両親と1歳違いの兄との4人家族で育った。ご両親の出身はフィリピン。「お父さんはマニラで、お母さんがセブ島の出身だよ」
「お母さんが初めてマニラに行ったとき、バスの乗り方を聞いた相手がお父さん。そのときにお父さんがお母さんに一目惚れしちゃったんだって。お母さんは仕事のために日本に行くところだったんだけど、セブから初めて出たからバスの乗り方もわからない状態。そんな様子のお母さんを心配して、お父さんがそのまま日本へ追いかけて来たみたいだよ。我が両親ながら、なかなか凄いよね(笑)」
ご両親は今でも仲睦まじく、彼もまた家族のことが大好きだと教えてくれた。
いつも笑顔で明るくて、みんなに優しい彼は、大学時代に入っていた部活の仲間。久しぶりの再会だったので、みなとみらいをゆっくり散歩しながらカフェを目指した。
少しずつ遊園地が見えてくると、彼が嬉しそうに声をあげた。
「懐かしい〜。子どもの頃、家族でよくこの遊園地に来たよ〜」

――カブは、どんな子どもだったの?
「常に走り回っている子ども!こういう所に来ると、お兄ちゃんは親に抱っこしてほしくてなかなか降りないのに、自分は早く降ろしてくれ!って感じで(笑)あっちこっち、よく走り回っていたみたい」
当時の活発な様子はホームビデオにも記録されている。
「おばあちゃんが作ってくれた斜め掛けのポーチをかけて、チョコレートを食べながら“元気?元気?”ってみんなに聞いて回っている子どもだった(笑)」
彼の家では、毎年クリスマスに家族でホームビデオを見るという。
彼の明るさは第二の故郷であるフィリピンの人々から多く影響を受けているようだ。フィリピンの親戚は明るくのびのびとしていて、大好きな存在だそう。
「親戚はめちゃめちゃ多くて、みんな集まると30人くらいいるかな。家に一台はカラオケ機があって、よく歌って、よく踊る。マイクは奪い合いだよ。みんな、我こそは!っていう感じ(笑)遠慮する人?いないね〜」
そんな彼も歌が上手だ。「マイクパフォーマンスのプロが身近にいっぱいいたからね。それが今ためになっているのかも(笑)」
「頭の回転が速い、カッコイイ大人がいっぱいいた」と話す。フィリピンは大好きな人たちがいる、大切な国なのだそう。
彼が大学進学を決めた背景にも、フィリピンへの思いがあった。

子どもの頃に見たドキュメンタリー番組『世界がもし100人の村だったら』。たまたまテレビを見ると、そこにはフィリピンの子どもたちが映っていた。しかし、彼はその時に違和感を感じる。それまで彼が見てきた故郷の景色とはまた違う、ゴミ山で仕事をしながら懸命に生きる子どもたちの姿が映し出されていたからだ。
「そのときに衝撃を受けて。それまで自分のルーツであるフィリピンについては、正直あまり何も考えていなかったんだよ。フィリピンに帰ることはあるけど自分は東京で生まれ育ったし、楽しい親戚がいる国ぐらいにしか感じていなかった。親戚はいつも笑顔で、従兄弟も苦労している感じには見えなかったし……」
テレビで見たフィリピンの貧困問題を目の当たりにし、もっと世界について考えたいと感じるようになった。その後、国際協力について学べる大学へ進学する事になる。
「お母さんも、元々はストリートチルドレンだったんだ。それから、お母さんが日本に来てからはフィリピンに暮らす従兄弟の学費を支援している事も知った。教育を受ける事で従兄弟の選択肢が広がっている姿も見てきて、自分にできることって教育かなって思ったんだ。ちょうどその頃、部活で後輩の成長を見守る楽しさを感じていた頃だったから」
尊敬する、大好きな家族。だが、そんな家族にも届かない想いがあった。
それは、自身の性別について。
彼は元々、女性として生まれ育った。
「子どもの時から、男っぽい服装が好きだったんだ。毎週日曜日に教会へ礼拝に行くんだけど、その時は正装していくんだよね。男はスーツ、女はドレス。その日が本当に嫌で。早く終わってほしかったのを今でも覚えているよ」
年齢を重ねるにつれて感じる、自分自身を偽っているような違和感。徐々に、男性として生きていきたいという想いが強くなっていった。
「親は性同一性の人に批判的だった。そういう人を見かけた時には、一時の気の迷いだよ、そのうち治るよって言っていた。だから、自分もいつか治るんじゃないかって思ってた。……治るっていう言い方も嫌だけど、いつかこの気持ちも忘れられるんじゃないかって。でも、全然変わらなくて」

「このまま自分に嘘をつき続けるのは無理だ」そう思った彼は5年前、両親に自分の想いを伝えた。しかし、両親には受け入れてもらえなかったという。「初めは、うちの家族は仲が良かったし、大丈夫なんじゃないかって思っていた。でも、全く予想していなかった拒否をされて。あの時の表情は、今思い出してもちょっと辛い」
その後、彼は実家を離れた。
「しばらくは家にも帰れなかったんだけど、お母さんが会いたいって言ってくれるようになって。今でも”娘”だと思っているみたいだけど、それでもいいかなって。お母さんにとっては、たった1人の娘だしね。少しずつ理解してもらって、また元の家族に戻れたらいいなと思っているよ。だから、諦めない。唯一の家族だしね」
――カブのこれからの夢は?
「今の夢はね、インターナショナルスクールの先生になりたいんだ」
大学卒業後から働きながら学校に通っていたそうで、まもなく卒業を迎える。
中でも彼は、モンテッソーリ教育に興味があるのだと教えてくれた。「みんな得意なこと、不得意なことってそれぞれあるよね。モンテッソーリ教育では、その子が得意なことを伸ばして、不得意なことは手伝いあって補っていく。その子の個性を大切に、興味を深めることを手伝う、そんな考え方を大切にしていきたいんだ」
現在の日本では、モンテッソーリ教育のメインは乳幼児。しかし海外には小学校から大学まで取り入れている国があるという。彼の母親もまた、モンテッソーリ教育を実践している一人だそう。
「教員として働けるようになったら、いつか海外でも働きたいんだ。フィリピンとかインドとか……働けたらいいなぁ、まだまだ壮大な夢だけどね」

彼に送った花は、クルクマ。
贈る花言葉は“あなたの姿に酔いしれる“。
選んだ花を見せると彼は、わぁと声をあげ笑顔を見せてくれた。
「この花、フィリピンにもあるかも!見たことがある気がするよ。うちのお母さん、花が好きだから聞いてみるよ。ありがとう」
家族を愛していて、無邪気で、まっすぐなカブ。
彼の夢が、叶いますように。
