わたしたち
gallery
gallery
5月、沖縄。
すでに梅雨入りしているにも関わらず、滞在中雨は一滴も降らなかった。心地良い風がふわりと吹く、眩しい沖縄の街。コバルトブルーの海と空、艶やかな緑。「雨もお散歩に行ってしまったさー」道行くおばぁが、微笑みながら通り過ぎていく。
2年ぶりの沖縄。相変わらずの柔らかい空気に、ほっと癒される。
沖縄へ出発する2週間前、大学時代にお世話になった先輩の小野間さんから電話があった。すごく久しぶりだったので1時間ほど互いの近況報告をし、実はまもなく沖縄に行くという事を告げると、ちょうどスケジュールが空いている日が一致。話の続きは沖縄でする事となった。
小野間 昌和(おのま まさかず)さん。
1987年山梨県生まれ、あだ名はおのまんさん。
沖縄出身の奥様と結婚し、2014年より沖縄県那覇市へ移住。
現在は3歳になる男児の父でもある。
おのまんさんは、私が大学時代に所属した沖縄エイサー部の創立者。言葉のイントネーションとおっとりとした優しい雰囲気は、沖縄で生まれ育った人のようだ。
地元山梨県ではサッカー少年だったおのまんさん。「いつか東京に出たい」という思いから高校卒業後は東京にある桜美林大学へ進学。バイト先の居酒屋で、沖縄出身の奥さんと出会った。
「なっき(奥さん)は大学の交換留学制度で沖縄の大学から東京の大学に来ていて。1年後には沖縄に戻るって言うから、自分も沖縄に行ってみようかなって」
そして彼女が沖縄に戻るタイミングで彼も沖縄の大学へ。彼女に誘われエイサー(沖縄の芸能文化)のサークルを見学に行った日、彼はすぐにエイサーに魅了された。
「エイサーもカッコイイし、メンバーが一人一人尊敬できる人ばっかりでさぁ」
演舞デビューは入部一ヶ月後の台湾遠征。「色々な所で演舞しながら沖縄の歴史を学んださぁ。沖縄にいる間は毎日みんなと練習して、飲んで、最高だったね。短い期間の中でも色々な役割を担当させてもらって、濃すぎる1年を送らせてもらったよ」
1年間の交換留学を終えた後は、沖縄で出会ったメンバーが桜美林大学へ。
「関東でもエイサーを踊れる環境を」と、一緒にエイサー団体を立ち上げる。
名前は大学名からもらった「桜」と「風に乗り想いを届けたい」の願いを込めて「桜風(おうかじ)エイサー」と名付けた。後に、沖縄で所属した団体「琉球風車(りゅうきゅうかじまやー)」の関東支部として「桜風エイサー琉球風車」となる。
立ち上げ時のメンバーは4人。
エイサーそのものを初めて知る人が多い関東で、一つ一つの出会いを大切に沖縄と関東を繋いでいった。地域に積極的に顔を出し、演舞依頼が入れば感謝して応えた。
おのまんさんはその頃を「できる事は何でもやった」と振り返る。
そして少しずつ仲間が増え、輪は大きくなった。
設立から12年たった現在、OBOGを含めたメンバーは200名を超えた。
サークルとして始まった団体は大学史上最速で公式の部活へと認定され、沖縄の文化を伝えるために現在も活動を続けている。
写真:本人提供
大学卒業後結婚したおのまんさんは、奥さんの故郷・沖縄へ移住。
沖縄でもエイサーの活動を続けながら、採用メディア会社に勤めた。5年間で約300社、1500名以上の採用に携わり、そこでの出会いや経験がおのまんさんにとって大きな刺激になったと教えてくれた。
「仕事を通して何人もの経営者に会って、話を聞く機会に恵まれたさぁ。それで気づいたんだけど、カッコイイ人って自分のコトバを自由に発信しているな、って」
「自分は元々格好つけたい所があるから、つい背伸びしてしまっていたんだけど…。
コトバって、自分が本当に思った事、やったことじゃないと響かないさぁ。だから今は等身大で、無理せず見栄をはらず自分をだしていくことが大切なのかなって思っているよ」
カッコイイと思う人と出会う度に、自分を見つめ直したおのまんさん。次第に、そんな人たちの姿に背中を押されるように「自分でもビジネスを立ち上げたい」と思うようになる。
そして2019年9月3日、コンサルティング会社「株式会社ひよこ企画」を設立。
「つなぐ」をテーマとした新しい価値の創造を目指し「まずは自分のできることを少しずつ」と、飲食店のコンサルティングを開始。
また、エイサーを通した経験をもとに、会社とは別に二つの活動も行なっている。
ひとつはキャリア教育のプロジェクト。「今でもつながる大学生や、息子の将来のためにもたくさん学んできっかけづくりをしていきたい」と活動している。
もうひとつは「エイサーまちづくり研究会」の発足だ。人生のターニングポイントになったエイサーからは多様性を感じていて「その要素や力を深掘りして、必要とされる地域や人に還元していきたい」と話してくれた。
「昔からとりあえず言ってみる、やってみる精神だった」と言うおのまんさん。
仕事をしながら、エイサーの活動、三線やギターの演奏、マラソン、料理。仕事以外にも様々な趣味があり、チャレンジしている。そんな自分のことを「俺イエスマンだからさ」とおのまんさんは笑う。
「小野間さんは横断力がすごいですね」
ある人に言われたそのコトバが、今も胸に残っていると教えてくれた。
人と人をつなぐことを大切に、糸を重ねるように人や土地を横断してきたおのまんさん。一見バラバラに見えるそれぞれの活動だが、そこで感じたことや出会った人は、その後もつながっている。そして、そのつながりこそおのまんさんが大切にしていることだ。
「やりたい事もやりたくない事も、やりながらわかってくるさぁ」
自分の為、家族の為、仲間の為、出会った人の為。
目の前にいる誰かの為に、言葉にして、行動して、示していく。
シンプルな事を丁寧に繋いでいくおのまんさんの輪は、これからもどんどん大きくなり続けるんだろうなと思った。
おのまんさんに贈った花は「紅花(べにばな)」。贈る花言葉は「情熱」だ。
沖縄の花屋で見つけた、夏の太陽みたいに鮮やかな花。
おのまんさんの実現したい事を聞いているうちに、私もワクワクして色んな話をした。
どんな小さな話もしっかりと聞いてくれて、話を終える頃には前向きな気持ちになっていた。話し終わった後にはおのまんさんのパワーをもらった気がして、情熱って自分を動かすだけじゃなくて、見ている人の心も揺らす力があるんだなぁなんて感じた。
「人生で1番の幸運は、なっき(奥さん)と出会ったことかもね。
なっきと出会わなかったら、沖縄に来る事もなかったさぁ。折角だから縁があったこの土地で何か残したいなーと思っているよ。それでいつか、沖縄でこうして活動していることが故郷のみんなにも届く日が来たらいいなぁ」
「ヒとがヨろこぶコとをつなぐ」
おのまんさんが沖縄で辿り着いた夢。
これからの活動も、楽しみにしています。